母と私の暮らし
今年75才の母は、ゴルフ場の清掃員をしている。
今年度からサブリーダーになり時給もアップした。
そんなに働いて、大丈夫なのかと心配しても、本人は稼ぐことが何よりも楽しいようだ。
早番、遅番があり、当初早番の9:00~14・00だけのシフトのはずだった。
ところが、今では遅番も掛け持ちして帰りが19:00になる日も少なくない。
貴重な休みの日は、高齢の姉たちの相手をしないといけない。
買い物、病院、美容院に連れて行かなければいけないのだ。
買い物と行っても、一か所じゃないのだ。
卵と野菜は産直市、肉は精肉店が入っているスーパー、魚は別のスーパー、日用品はモノによってドラッグストア、業務用品店、百貨店と渡り歩く。
ゆっくりする暇がないと嘆くのも分かる。
仕事辞めてもいいよ、遺族年金だけでも結構やっていけるかもよと言うと、それは頑として拒否する。
シフト表を眺めながら長座布団の上でいち、にー、さん、と出勤日を数えて金の計算をするのが今の趣味らしい。
そして他のパートさんより一日でも少ないと、ちょっと愚痴る。
ゆっくりしたいなんてのは、本心じゃないのかも知れない。
そんな私たちは、一緒に暮らしていても同じ時間を過ごすのはほんの数時間である。
母が70歳を超えた頃、私は母との暮らしで、脳裏をかすめる事がある。
それは残された時間である。
あと20年一緒にいられるのは可能性として薄い。
10年。10年なんてあっという間だ。
それなのに何も出来ないのは、仕事があるからとかそういう事ではないのだと思う。
仕事をやめて、母と家にいたとして、それで問題解決につながるとは思えない。
ただその日を精いっぱい生きる事しか出来ないのだ。
お互いそれぞれの世界(社会)があって、自分を生きて、帰ってくる場所がある。
本来それで充分なのだ。
もっともっとと、充実した人生を求めるのは幸せボケの症状なのだろう。
もうすでに幸せに包まれているのに。
ピアスとバナナブレッドをプレゼント。
ピアスは、穴が塞がってたみたいで、今度開けに行くことになった。